学校の先生は大変だと思います。
私は個人的には反対です。
なぜなら、早くに英語の勉強を始めればできるようになるわけではないような気がすることと、
それ以上に、英語ができればいいというものではないと日々実感しているからです。
英語ができるに越したことはありません。
こっちに来て英語ができなくて困ることなんて
自慢ではありませんが日常茶飯事でした。
何か聞かれて、たとえそれが何を聞かれているか分かって、
その答えが分かっていたとしてもとっさに答えられない、
ということは知らない、分からないのと同じと思われても仕方ありません。
論文を読むのも遅いし、やはり英語だと理解が浅くなることは否めません。
明らかに損です。
そもそも英語が満足にできない私なんかは、
基本アメリカの研究室で採用されるはずがないのです。
日本の会社でも日本語できない外国人を雇うのはまれですよね。
それとおんなじ。
日本の会社の場合は、英語のネイティブスピーカーを採用すれば、
彼とコミュニケーションをとるためにみんなが英語を使わざるを得なくなり、
その結果会社の英語レベルが上がるのではないかという期待もできます。
でも、逆に英語圏内での日本語は残念ながら全く需要がありません。
なので、彼らからしてみたら、言ったら小学生みたいな英語をしゃべる
日本人を採用する理由はあまりないのです。
日本語のネイティブスピーカーに(アメリカでは)市場価値はほとんどありません。
彼らにしてみたら、そんな日本人を雇うぐらいなら
英語ができる韓国人を雇った方がよっぽどマシなはずです。
それは今は社費で留学しているからです。
研究室の教授からしてみれば給料を払わなくていいタダの労働力なので、
多少英語に難があっても
「まあ、うちで面倒見てやるか、タダより安いものはないし。」
みたいに思われて雇ってもらったのかもしれません。
(今は社費留学なので、給料は会社からもらい、でも仕事はMITでその教授の指示のもとで
その教授の研究をしている、という状態です。念のため。)
少なくとも有機化学の実験はできるので、その点は小学生ではないのです。
少なくとも有機化学の実験はできるので、その点は小学生ではないのです。
(外資系ではなくて)海外の会社に就職しようとしても同じことだと思います。
なお、多くの日本人ポスドクは日本の奨学金をもらってMITでポスドクをしています。
教授から給料をもらってポスドクしている人は非常に稀です。
ともあれ、英語はできるに越したことはないのです。
間違いありません。
できないと、なにか勝負しようとしても同じ土俵にすら立たせてもらえないのです。
でも、だからといって、英語ができればいいんだとはどうしても思えないのです。
今、就職活動で困っているうちの研究室のあるポスドク君。
彼は母国語と、ドイツ語、英語と3ヶ国語が堪能です。
第二外国語でヒーヒー言っている私からすれば、超天才です。
奥さんとの電話は母国語、ドイツ語の分かるポスドクとはドイツ語、
でもその直後は英語で私としゃべってくれる。
彼の頭の中は一体どうなっているのでしょうか。
でも、残念ながら彼はなかなか就職が決まらないのです。
ある有名企業に面接を受けに行ったものの残念ながら不採用。
その後もいろいろ探しているようですがなかなか難航しているみたいです。
ちょっと偉そうに聞こえるかもしれませんが、その理由は私にとっては明らかです。
それは、彼は同僚とうまくやっていくのがあまり得意ではないということです。
彼が「この実験器具がほしいんだけどどこにあるんだ?」と私のところに
聞きにきているのにも関わらずものすごい偉そうな口ぶりだったり、
人から借りたものは返さなかったり、
共通のガラス器具を汚したまま洗わずに長い間放置したり、
「自分は教授のために働くのに、その見返りとして俺様にいい就職をくれるわけではないんだぁ」と嘆いたり、
(私のみたところ)それほど一生懸命働いているわけでもないのに、「自分のChemistryは難しい。おまえのは簡単でいいなあ。テーマかえてくれよ。」
みたいなことを言ってしまったり。。。
失礼。
彼がいつもいつもこんなわけではないのですが、
要するに、一緒に仕事したいなあとはとてもではないが思えないのです。
少なくともボクはイヤ。
そういうわけで、彼がインタビューを受けても
なかなか採用されないのは、私にとっては至極当然のように見えるのです。
前に書いたとおり、ポスドク君の就職活動では、2日とかかけてじっくり面接されます。
なので、その人柄は、どんなに隠そうとしても出てしまうと思います。
彼は3ヶ国語に堪能です。
学歴も十分。Ph.Dをもっていて、MITでポスドクまでしています。
が、それではやっぱりなかなか採用されないのです。
ということで、やっぱり英語(語学)ができるだけでは駄目で、
それと同じくらいか、それ以上にみんなとうまくやっていけるかどうかということの方が
長い目で見ると大事なんではないかと思わざるを得ないのです。
最近アメリカのある大企業からオファーをもらって就職が決まったポスドク。
彼と就職活動について話をしていたら、こんなことを言っていました。
「やっぱり性格とか人柄が大事。知識が足りない分はあとで勉強すればなんとかなる。
でも、性格とか、人柄はもう出来上がってしまっていてあとから変えるのは無理。
だから、会社はそういうところを見てるんじゃないかなあ。」
ううむ。やっぱり僕もそう思います。
ちなみに彼はとてもよくできたひとで、
協調性があり、言葉づかいも丁寧でめったにスラングなんかを使ったりしません。
よく働くし、そのうえアメリカの有名研究室でPh.DをとってそのあとMITでポスドクをしているのです。
やっぱりデキるひとはとことんデキるのです。
そして、そういう人は就職氷河期でもみんなのうらやむ大企業に採用されていくのです。
そうそう。
となりの研究室に日本語が堪能なアメリカ人がいるのですが、
彼が言っていました。
「日本人が英語が苦手である原因はローマ字のせいだ。」
一理あります。ローマ字って、大して役にたたないのに、
あれをなんで小学校でせっせとやったんでしょうねえ。
あの知識がない方が、もしかしたら変な日本人英語みたいにならないのかもしれません。
英語教育の時間を増やす、もいいけど、
とローマ字の教育をなくす、という引き算の発想もありかもしれません。
百歩譲ってローマ字の時間を英語の時間にするとか。
ともあれ、日本語が母国語か英語が母国語か分からないような
バイリンガル的な人を大量に製造するのであれば
早いうちから始めないとだめだとは思いますが、
そこまで徹底するのでなければ、やっぱりもうちょっと他にすることはないんかい、と
思わずにはいられない今日この頃なのです。
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